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山永耕平作品 Vol.1

佐賀大学教育学部
特設美術科学生時代&大川時代

 いつもの、買い付けの材木屋の片隅に、台湾檜の塊を見つけたのが、「ザ・

ベンチ」を作る最初のきっかけであった。もちろんその時点で、この形のベンチ

を発想するなんていうことは、これっぽっちも考えていなかったのである。(中

略)5年間、檜の塊とにらめっこをしていたことになる。その塊は現在、正確な寸

法は記録していないが、たしかW210×T150×L3000、W240×T150×L2000、

の2本からなる檜であった。(中略)私は以前から日本の美に興味をいだき、ど

うしたらヨーロッパ、アメリカナイズされずに、その日本の美を現代生活の中に

生き返らせることができるのか、疑問と悩みをかえて飛鳥・奈良・京都・出雲を

旅したり、その種の本を読みあさったりしたことがある。そういったプロセスで私

なりにわかったのは、日本人は、質素、倹約を旨としてきた民族であり、シンプ

ルな日本の美も木を大切に使う心の現れで、木割の合理性もそこから生まれ

たのではないかと思ったのである。そこで、尺寸の30ミリを単位としたモデュー

ルを考え、できるだけそれに近い寸法を使うことにを一つの方法としてきたが、

このベンチの特徴もそこにあるとも言える。厚さはすべて30ミリ、幅は60ミリ・

150ミリの部材からできているのである。

(家具・木工通信 no6 1989年より

                     
重ね箱

当時、ハンス・ウェグナーやジョージ中島はあこ

がれの人であった。そのザ・チェアを実測する機

会を得た。その後、日本の尺寸のモジュールに

基づき日本の建築構造を取り入れ、欅材を使っ

た椅子を発表、その後シオジや楢などで本格的

に椅子のデザインに取り組むようになる

家具の町大川時代の修練の延長で、鉋の原理

を解明すべく、刃砥ぎを日課としながら、教育方

法の一助として木工ろくろの技術も習得(1969

年、大分県日田産業工芸試験場にて)その後県

展や工芸展に出品入選、入賞する。そのころ注

文に応じて作った家具は少ないが、両袖机、書

棚はその一例。

ヒノキノイス

日本のイメージを出すためには日本独特の引く

式の鉋の削り面を活かすべきという考えで、人間

工学を取り入れたヒノキの椅子を第37回新制作

展スペースデザイン部に初出品入選する。その

後、新制作展にしぼり、木工技術を活かした直線

形態の椅子の発表を続ける。

小イス

1972年〜1975年

1987年〜1995年

ヒノキノイスについて

1968年 卒業制作

1969年大川風浪宮大祭

ハシゴイス

  1963年〜1968年

工芸、木工を専攻、ウィリアム・モリスのアーツ・アンド・

クラフツ運動やピート・モンドリアンの造形理論に傾倒、

家具デザインの方向性が定まる。大学卒業後、後の九

州産業大学芸術学部大山繁三郎教授の紹介により大

川の家具メーカーに入社、その頃まで伝わっていた職

人を体験する。


1972年頃

1978年、国際クラフト会議が京都で開催さ

れる。そのイベントの一つ日本クラフトコンペ

京都に合板による箱ものと椅子を融合させ、

和のイメージを取り入れた「重ね箱」を発表、

入賞する。その後シリーズ化する。

1982年、第2回国際デザインコンペテショ

ン大阪に日本の床、畳を取り入れた作品

「床子」を出品入選する。


スペースデザインの基本は住空間にある

という考えから、新制作展スペースデザイ

ン部に日本の空間を意識した黒のシリー

ズとベンチシリーズの発表を1992年第56

回展まで続けた。

 周知のように、我が国は木の国と言われている。それはたぶんに、檜、杉に代表される針葉

樹を中心にした言葉だと解釈すべきである。そういった意味で、日本のイメージを出すには、

檜か杉を使いこなすことが大切である。杉はあまりに柔らか過ぎて、どう考えても椅子などの

家具材には不向きで、せめて檜のかたさは欲しい。(中略)現代生活にマッチした檜を使用し

た家具を考えることが、今も私のテーマである。下手すると、すぐに和風の「やぼったさ」にな

ってしまうし、北欧のデーニッシュスタイルではおもしろくない。一昨年、一つの試みとして、提

案したのが写真の「ヒノキノイス」である。田舎の民家でもよし、都会のマンションでもよし、あ

るいは別荘の庭でもよし、いろんな所で使われ、どこにでもある様な、平凡でめだたないが存

在感があり、そこに置かれた椅子が丈夫で長持ちしそうな、一見、不細工であるが、よく見る

と美しく、スマートである様な、そんな椅子を想定して考えたつもりである。

(家具・木工通信 no6 1989年より)

 

九州産業大学芸術学部在職時代

1969年〜1971年

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1985年〜1992年

1976年〜1982年

ベンチシリーズについて

1986年〜1990年

床子

ザグ