木工工芸を専攻ウィリアム・モリスの
アーツ・アンド・クラフツ運動やモンド
リアンの造形理論に傾倒、家具デザ
インの方向性が定まる。
1972年〜1975年
1969年〜1971年
日本のイメージを出すためには日本
独特の引く式の鉋の削り面を活かす
べきという考えで、人間工学を取り入
れたヒノキの椅子を新制作展に初出
品入選する。その後、木工技術を活
かした直線形態の椅子の発表を続
ける。
家具の町大川時代の修練の延長で、
鉋の原理を解明すべく、刃砥ぎを日課
としながら、教育方法の一助として木
工ろくろの技術も習得(1969年、
大分県日田産業工芸試験場にて)
注文に応じて作った家具は少ないが、
両袖机、書棚はその一例。











※注文に応じて作った家具は少ないが、Sg邸の両袖机
とS邸の書棚はその例
両袖机


1976年〜1982年

1978年、国際クラフト会議が京都で
開催される。そのイベントの一つ日本
クラフトコンペ京都に合板による箱もの
と椅子を融合させ、和のイメージを取り
入れた「重ね箱」を発表、その後シリー
ズ化する。
当時からハンス・ウェグナーやジョージ
中島はあこがれの人であった。
そのザ・チェアを実測する機会を得た。
その後日本の尺寸のモジュールをも
とに日本の建築構造を取り入れ、欅
材を使った椅子を発表、本格的に椅
子のデザインに取り組むようになる。













1985年〜1992年




ヒノキノイスについて
ベンチシリーズについて


1987年〜1995年




1986年〜1990年
いつもの、買い付けの材木屋の片隅に、台湾檜の塊を見つけたのが、「ザ
・ベンチ」を作る最初のきっかけであった。もちろんその時点で、この形のベ
ンチを発想するなんていうことは、これっぽっちも考えていなかったのである。
(中略)5年間、檜の塊とにらめっこをしていたことになる。その塊は現在、正
確な寸法は記録していないが、たしかW210×T150×L3000、W240×T150×
L2000、の2本からなる檜であった。(中略)私は以前から日本の美に興味を
いだき、どうしたらヨーロッパ、アメリカナイズされずに、その日本の美を現代
生活の中に生き返らせることができるのか、疑問と悩みをかかえて飛鳥・奈
良・京都・出雲を旅したり、その種の本を読みあさったりしたことがある。そう
いったプロセスで私なりにわかったのは、日本人は、質素、倹約を旨としてき
た民族であり、シンプルな日本の美も木を大切に使う心の現れで、木割の合
理性もそこから生まれたのではないかと思ったのである。そこで、尺寸の30
ミリを単位としたモデュールを考え、できるだけそれに近い寸法を使うことに
を一つの方法としてきたが、このベンチの特徴もそこにあるとも言える。厚さ
はすべて30ミリ、幅は60ミリ・150ミリの部材からできているのである。
(家具・木工通信 no6 1989年より)
周知のように、我が国は木の国と言われている。それはたぶんに、檜、杉
に代表される針葉樹を中心にした言葉だと解釈すべきである。そういった意
味で、日本のイメージを出すには、檜か杉を使いこなすことが大切である。
杉はあまりに柔らか過ぎて、どう考えても椅子などの家具材には不向きで、
せめて檜のかたさは欲しい。(中略)現代生活にマッチした檜を使用した家具
を考えることが、現在も私のテーマである。下手すると、すぐに和風の「やぼ
ったさ」になってしまうし、北欧のデーニッシュスタイルではおもしろくない。一
昨年、一つの試みとして、提案したのが写真の「ヒノキノイス」である。田舎の
民家でもよし、都会のマンションでもよし、あるいは別荘の庭でもよし、いろん
な所で使われ、どこにでもある様な、平凡でめだたないが存在感があり、そ
こに置かれた椅子が丈夫で長持ちしそうな、一見、不細工であるが、よく見る
と美しく、スマートである様な、そんな椅子を想定して考えたつもりである。
(家具・木工通信 no6 1989年より)
卒業制作
床子
ザグ